それから、人々の善意を結集した資金や活動が、現地の事情にそぐわないために無駄になったり、それどころか逆にオランウータンを追いつめる結果になっている状況についても、お話を伺うことができました。
 保護したオランウータンを野生に帰すリハビリセンターの問題点については、7月の講演会報告にも書いたとおりですが、インドネシアでもマレーシアでも、政府が行っているリハビリ事業に対する批判はタブーで、事業の見直しを主張した外国人研究者のかたは帰国を余儀なくされたそうです。日本のテレビなどで、センターの一面しか報道されない裏にはこうした事情もあるようです。
 オランウータンも利用していた橋に、エコツーリズムのために予算を取って手すりを増設したら、檻のようで恐いと感じたオランウータンが渡らなくなってしまったとか、植林活動と称して、都会からの小学生を大勢連れて来て森に入ったために、40年来そのあたりを遊動して繁殖していたオランウータンが、危険を感じて姿を消してしまったとか、笑えない話もありました。
 そもそも植林というのはヨーロッパ流の考え方で、熱帯の森は放っておくのがいちばんなのだそうです。1983年の山火事で焼けてしまった森が95年にはかなり回復している様子も、ビデオで紹介されました。
 山火事の消火用器材については、日本政府も相当な資金を提供しているにもかかわらず、現地には渡っておらず、農薬散布用の手動ポンプで消火作業をしている様子も映し出されていました。現地に根付いた指導者に渡さないのが敗因とのことです。

 鈴木先生が開設されたキャンプ・カカップでは、10名ほどの地元のかたが働いています。ボルネオに愛着を感じ、森を守りたいという思いから、キャンプ運営費から捻出されるわずかなお給料で、調査に協力してくださっているそうです。長期間にわたる地道な調査で、野生のオランウータンの生態、食べ物や水飲み場、血縁者どうしのネットワークなどについて、やっと少しずつ明らかになってきました。

【オランウータン友の会】

 私は、前回7月の講演会でお話を伺い、オランウータンやインドネシアの実状に関し自分があまりにも何も知らなかったことに驚いて、すぐに「オランウータン友の会」に入会させていただいたのですが、入ってみて、この会が今ようやくスタートラインに立った集まりであることを知りました。
 これまでは、メーリングリストで細々と情報交換を行っていましたが、今回の講演会を機に、初めての関東地区ミーティングが開催されました。
 オランウータンとともに生きられる未来のために、私たちに何ができるのか、外食産業に紙コップの使用をやめてもらおうとおっしゃるかた、パネル展を企画したいという動物園関係のかた、日本の林業を復興することでボルネオの森を守ろうという視点のかたなど、いろいろなアイデアが出されました。
 私自身は、クタイの森の木がどのくらい日本に入ってきて、何に使われているのかとか、盗伐をする出稼ぎグループが増えている経済的背景など、現状把握が全然できておらず、勉強不足を痛感いたしました。遅まきながら少しずつでも勉強して、良かれと思ってしたことが間違ってオランウータンの仇になることがないように、自分にできることを考えていきたいと思っております。

 キャンプ・カカップおよびオランウータン友の会の詳細につきましては公式サイトがございますので、是非ご覧ください。

(2002年12月14日up)
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