このエピソードからもわかるように、ジプシーさんとドン・ホセは、とても仲がよく、1965年に第1子ジュリーが誕生しました。日本生まれのオランウータンとしては、上野動物園に次いで、日本で2番目のこどもです。以後、サリー、チャッピーと、3人の娘に恵まれましたが、残念なことに、ドン・ホセは1974年に推定15歳で病死してしまいました。2番目のだんなさま、ジローとの間にも、キャンディーという娘が生まれましたが、ジローにも先立たれました。今、ドン・ホセは上野の科学博物館で、はく製になっているそうです。ジローは、多摩動物公園に、骨格標本となって保管されています。
 キャンディーとジュリーは、他の動物園に移り、ジプシーさんは、サリー、チャッピーという2人の娘とそのこどもたち、つまり孫と一緒に暮らしていました。ここでは、母系のコミュニティができあがっています。おばあちゃんが孫のお守をしたり、いとこ同士が遊んだり、野生とは異なった暮らし方をしています。
   (運動場脇に掲示されているジプシーさん一家の家系図)

 ジプシーさんは、もう高齢で歯も弱っているのか、おやつに差し入れられる枝も、柔らかい葉先しか食べません。けれど、初めて見るものに、一番先に手を出すのは、年の功のジプシーさんなのだそうです。新しい遊び道具などが登場すると、まずおばあちゃんが試し、安全とわかってからやっと他のメンバーが遊びはじめるそうです。みんなが頼りにしています。
 ところが、哀しいことに、去年の暮れ、娘のサリーさんが急死してしまいました。写真は、その3週間ほどあとのジプシーさんです。膝を抱えて放心したようにじっと前方を見据えていました。
 先日、動物解説員の方から、お悔やみに対する、ご丁寧なお返事をいただきました。サリーさんが亡くなる前後の様子を詳しくお教えくださったのですが、その中で、とても印象的だったのが、サリーさんがいなくなった直後の、他のメンバーの態度です。  サリーさんが室内で亡くなった時間、他のメンバーは運動場に出ていて、その最期を見ていないので、なぜサリーさんの姿がないのか、飼育係の方に訴えるような表情だったそうです。とくにジプシーさんは、数日間「サリーを返して」という表情をし続けたそうです。
 ふだん運動場に出られないキューだけが、サリーさんの最期を直接見たのだそうです。サリーさんの妹のチャッピーは、翌朝、運動場に出る途中で、キューとかなり長い間、顔を寄せて見つめ合っていたそうですが、そのことがあってから、チャッピーは吹っ切れたように、飼育係の方に訴えることをやめたのだそうです。言葉よりも確かに、情報が受け渡されたのだとしか、考えられません。
 お手紙は、年が明けて、ジプシーさんにもやっと表情が戻ってきたと、結ばれていました。もう少し暖かくなったら、またジプシーさんに会いに行こうと思っています。
 なお、動物園に限ったことではないのかもしれませんが、ニュースや新聞などで、時おり誤報がながれ、動物園の意図が正しく伝わらないことに、関係者の方がたいへん心を痛めていらっしゃいます。報道された内容に疑問を感じることがあったら、連絡してほしいという旨が、お手紙の最後に書き添えられていましたので、付け加えておきます。
(2002年1月27日up)
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