小判猫さんのお墓は、案内板がないので判りにくいのですが、鼠小僧さんのお墓の、向かって右脇にあります。高さ70センチほどの小さなお墓で、今読み取れるのは、台石に、右から左へと刻まれた「木下伊之助」という名前だけです。
 『猫の歴史と奇話』(平岩米吉著 1985年)によると、昭和43年には、墓石の正面に、不鮮明ながら、法名の「徳善畜男」と命日の「三月十一日」の彫り付けが読み取れたということです。墓石の上には、丸くなって寝ている猫の石像があったとも記述されていますが、現在では、写真のように、小さな盛り上がりが痕跡をとどめているだけです。どんな猫さんか一目見たかったのに、とても残念です。
 このお墓を目の当たりにして、不思議に思ったことが二つあります。
 一つは、「木下伊之助」って誰? という疑問です。『猫の歴史と奇話』の著者の方は、魚屋さんの名前であろうと推察されています。けれど、魚屋さんの名は『藤岡屋日記』では「利兵衛」、『街談文々集要』では「福島や清右衛門」となっており、こんなにはっきり刻まれている名前が、どの書物にも登場していないのは不思議です。どなたかご存知ではないでしょうか。
 二つ目は、「木下伊之助」が彫り込まれた台石に比べて、墓石本体の風化が激しすぎるということです。はじめ、この台石だけ後年設置されたものなのではないかとも思いました。けれど、近くにある海難供養碑などは、文化十一年(1814年)の建立でも、小さな字まではっきり読み取れます。猫の墓石ということで、あまり堅牢でない石が用いられた結果なのでしょうか。あるいは、鼠小僧さんの御利益にあずかろうと、その墓石を削って持ち帰る方々が、隣の小判猫さんのお墓まで削ってしまったのでしょうか。
 余談ですが、『街談文々集要』には、文化四年(1807年)に、海老を食べた多くの猫が死んだという記述があり、回向院の供養塔に、猫の辞世の句が記されたとありますが、この供養塔は探し当てられませんでした。ご存知の方がおいででしたら是非お知らせください。
(2001年7月19日up)
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