《ハマコさんの思い出2》 去年の夏

 暑さを避けて寝室に入っていたハマコさん。帰りがけに「ハ〜マコさ〜ん」と呼んでみたら、ナント!ゆっくりゆっくり運動場に出て来てくれたんです。それは嬉しかったですよ。
 まあ、夕暮れになって少ししのぎやすくなったから、たまたま夕涼みに出て来たのだとは思いますが。


《ハマコさんの思い出3》 写真は残酷

 ハマコさんの思い出を書こうと思い写真を並べてみますと、今年に入ってからの衰えが思った以上に顕著に撮し取られていました。面と向かっているときは、無意識のうちに老いの部分を見まいとしていたのかも知れませんね。
 1月に室内にいたときの様子は、このコーナーの17でご報告しましたが、5月に訪れたときも、運動場に出ているハマコさんを見つけて喜んだものの、以前のハマコさんではないなという感じを受けました。
 そして9月23日の動物感謝祭でお会いしたのが、最後になってしまいました。飼育担当のKさんに、足のできものを消毒してもらったり、おやつのおからをお団子に丸めて口に入れてもらったりしていたのですが、ときどき拒否したり、鼻でつかんだおからを砂のように撒いてしまって、後ろで作業していておからをかぶったKさんにお尻をペンされたりしていました。
 ハマコさんが亡くなってからも何度か足を運びました。11月22日の「はま子さんへの感謝のつどい」では、ハマコさんの運動場に入れていただいて献花することができましたが、内側に空堀が掘ってあるせいか、運動場は外側から見るよりもはるかに狭く、これがハマコさんの世界のすべてだったのかと愕然としました。
 文字どおり野毛山動物園の中心にいたハマコさんが、50数年間ここで何を思って過ごしてきたのか、幸せだったのかどうなのか私にはわかりません。
 けれど、「あれぇ? ぞうさんいないよォ」といぶかるお子さんに、おとうさんが事情を説明しながら、おとうさんご自身も幼稚園の遠足でハマコさんと記念写真を撮ったお話をされたり、年輩のご夫婦がハマコさんの思い出を語り合ったりされているのを見ると、ハマコさんがほんとうに多くの方々から愛されていたのは確かで、ハマコさんもそのことは十分に感じとっていたように思います。

9月23日動物感謝祭





11月22日 等身大のパネルが置かれていました
(2003年12月11日up)
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