道ならぬ事とハおもへども、ひんくゆへに両がへして、二朱小づかひにいたしけるが、その夜にいたり又かのねこ見へず、ふうふのものふしぎにおもひ、どこへ行しやと打すておきしが、つぎの日、りん町のいせ屋といへる問屋へ、かのねこゆきて、まなこハきんいろにて、わきめもふらずにらみゐたりしが、やがて小ばん一まへくハへにげはしらんとする所を、わかいしゆ見つけ、此ちくしやうめと二ツ三ツうちながら、きのふの小ばんも此ちくしやうがぬすみました、今また小判をくハへてにげる所でござりますと、二三人にて、ふびんやかのねこかしらをひどくうたれて、ぎやあと一こゑなき、あへなく死したりけり、となり町のふく島やのねこが、いせ屋でぶちころされしとて、そのうハさきこえけれバ、清右衛門病中にて、ちくしやうとハいへども、そのつみのがれがたしとて、いせやへ行、此ねこハてまへのねこ、きのふのあさ小ばんを一まへくハへきたりしゆへ、いづくのかねとあんじゐたりしが、私事此はるより病きにてひんくゆへ、両がへして弐朱小づかひにいたし候とて、三分弐朱もち行て、不足の弐朱ハ病きくわいき次第、御返し申度と、ねこをころされしむねんをこらへて、わが家へこそハかへりけり、扨そのあとにていせやのあるじ、このしまつをきゝて大きにおどろき、さてさてその猫、ちくしやうなれども、清右衛門ふうふのなさけのおんをおもひ、ついにひごうの死をとげたり、ふびんや此猫のしがいをねんごろにほうむりたまへとて、しはい人江いひつけ、かの猫のくハへゆかんとせし小判壱まいと、清右衛門のもち来りし三分弐朱を相そへ、福島屋へ行、右の一ぶしじう、其元のねこをころせしこと、なん(に)ぶん御りやうけんし玉へと、主人の申付、おわびに参り候、此壱両は其元様へ病き見廻、先程御持参の三分弐朱にて、かのねこをほうむりたまへとて、ねんごろにいひつたへけり、たがひにけん人じん(ママ)しんにて、猫に小判の由来とかや、そのいぜんも、めいよの猫ありて、今にゑかういんに、猫のはかとて、しよ人のよくしるところなり。

    『近世庶民生活資料 街談文々集要』(三一書房)より
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