街談文々集要

十七 文化十三丙子年之巻(中) 第九 文月猫名誉ふミづきねこのほまれ

頃ハ文化十三中春末つかた、所ハ神田川辺に、福島や清右衛門とて肴商売いたし、女房をおいくとよび、心ばへやさしく近所にてもほめられ、日々にその家はんじやうしけるが、諸道具を鼠にくひやぶられ、こまりはて猫をかひ、其名をきじとよび、朝夕うなぎ・かつをぶしをくハせける、女房おいくがねこのせなかをなでさすり、コレきじ、てまへハちくるいなれども、きゝわけること、人げんにひとしく、ねずミにこまるほどに一ツものこらずとれよと、よくよくいひきかせける、ふうふともかあいがり子供のやうにもてなしける、ある夜ねづミ一ツとり来り、ほどなく又二ツとり、そのたびたびにほめらるゝを、ねこよろこびける、あるとき清右衛門ぢびやうのせんしやくになやみ、きさらぎのすゑより初秋にいたれどもくわいきせず、女ぼうおいく、かのねこにむかひ、あるじの病気ゆへあきなひもやすみ、うなぎもかつをぶしもくはせられず、もうてまへのせわもできないから、ふびんなれどもどこへでもゆきやれといへバ、かの猫しほしほとして、ちいさなるこゑでなき、さもなごりをしげにぞきこへけり、はたしてそのばんからゆきがたしれず、女ぼうおいく、清右衛門にむかひ、きじがきのふからをりませんといへバ、なるほど猫ハものをきゝわけるとのためしもありとて、うちすぎけるが、四五日すぎてかのねこかへり来り、アノねこがかへりましたとよくみれバ、口に小ばんを一まいくハへて来り、ふうふのまへにかの小判をおき、人げんのあいさつするごとく、二タこゑ三こゑないて、しりををふるゆへ、ふうふハこれハとおどろきながら、此かねハといへバ、ねこハよろこびなきにごろにやあごろにやあとしりをふる、
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