そこで、この本から離れますが、「人権」がどう定義されようと、どんな法律や制度が定められようと、すべての生命は、そんなこと以前に、空気や水を分かち合い、大地の恵みを共有して生きています。「人権」の範疇に含まれるか否かにかかわらず、すべての生き物は、理由もなく生命や自由を奪われたり、他者によって恣意的に苦痛を与えらて良いはずがないと思います。
 ただ、ここに思い至って自分自身を省みれば、肉も魚も食べますし、蚊を叩きます。植物であっても、音楽を聴かせると生育が良いという方もいらっしゃるように、間違いなく生き物です。生物学や倫理学などの、知識的な拠り所を何らもたない身としては、いつもここで身動きがとれなくなってしまうのです。
 結局、他を圧する強大な力を持ったものがいたとしても、それが一人勝ちすることなく、お互い我慢しあい、すべてのものの満足度の総和が、たとえわずかでも高まるように心がけるということで、自分を納得させることしか、今のところ出来ません。人間も含め、すべての命を尊重し、感謝の気持ちを持つことしか出来ません。

 最初からいきなり、重たい話題でごめんなさい。このようなことについて、豊富な知識をお持ちの方々が、どのようにお考えなのか知りたくて、本を読んだりするのですが、上記の本の中で、ある執筆者の方が、種差別主義( =種による差別)の軽率さを指摘されています。動物を不連続の生物種に分類したのは人間だけれど、現実世界が不連続に区分されていると思ってはならないとおっしゃっています。この先にどんなことが書かれているのか、期待して読み進みました。その後段には、
 「人間は分類学的には牛から離れているかもしれないが、人間の方が知能が高いということがより重要ではないのだろうか? あるいはもっと適当な理由は、(中略)−−つまり牛は人間と同じように痛みを嫌うとしても(中略)、自分になにがおきているかがわからないということ−−ではないだろうか。」
 目を疑いました。この結論はあんまりだァ〜〜
(2001年5月16日up)
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