『宮川舎漫筆』  巻之四

(四番目の話)

○猫恩をむくふ 文化十三子年の春、世に専ら噂ありし猫恩を報んとしてうち殺されしを、本所回向院えかういんえ埋め碑を建て、法名は徳善畜男とくぜんちくなんと号す。三月十一日とあり。右由来之儀は、両替町時田ときだ喜三郎が飼猫なるが、平日出入りの肴屋某が、日々うおを売るごとに魚肉を彼猫かのねこに与へける程に、いつとてもかれが来れる時には、猫まづいでて魚肉をねだる事なり。扨右の肴屋病気にて長煩ながわづらひしたりし時、銭一向無之難儀ぜにいつかうこれなくなんぎなりし時、何人なにびとともしらず金二両あたへ、其後快気して商売のもとでを借らんとて、時田が元に至りける時、いつもの猫出ざるにつき、猫はと問ければ此程打殺し捨たりしと、其訳は先達さきだつ金子きんす二両なくなり、其後そのゝちも金を両度まで喰わへてにげ出たり。しかし両度ともに取戻しけるが、然らばさきの紛失したりし金も、此猫の所為わざならんとて、猫をば家内かない寄集よりあつまりて殺したりといふ。肴屋泪を流して、其金子はヶやう々々の事にて、我等方われらかたにて不思議に得たりと、其包紙つゝみがみを出し見せけるに、此あるじ手跡しゅせきなり。しからば其後金をくわえたるも、肴屋の基手もとでにやらんとの猫が志にて、日頃魚肉を与へし報恩ならん。扨々知らぬ事とて、不便ふびんの事をなしたりとの事なり。後にくわへ去らんとしたる金子をも、肴屋に猫の志を継ぎて与へける。肴やも彼猫かのねこの死骸をもらひ、回向院にほふむりしたる事とぞ。およそ恩をしらざるものは猫をたとへにひけど、又かゝる珍らしき猫もありとて、みな人感じける。
                     (ふりがなは一部省略しています)
        『日本随筆大成 第一期 第16巻』(吉川弘文館)より
  京都大学電子図書館に、原本の画像があります。
  小判猫の話は、巻之四の四つ目です。
戻る    TOP